タイトルの映画を見たので感想をまとめます。
きっかけ
『忍たま乱太郎』を見たことがない日本人は恐らくほとんどいないだろう。しかしこの作品が実は大人のお姉さま方に昔から絶大な人気があることをいったい何人の日本人が知っているだろうか。私もその大人のお姉さんのひとりである。ある時から彼らをまた違うまなざしで見つめ始めた。そしてジャンルを定期観測していた。
そして今作の制作発表があったとき、必ず見なくてはいけないと感じた。なぜなら私の15年前からの推し、土井先生が主役の映画だというからだ。しかもいつもの土井先生の優しい雰囲気はなく、クールで渋い印象の、私たちの知らない土井先生がPVに上がっていた。俺たちの半助に何があったのか。一人の土井先生ファンとして絶対にスクリーンで見たいと思ったのであった。(しかし公開から1月半経った今見に行ったのは本当に恥じるべきだと思う)
あらすじ
『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』公式サイト
タソガレドキ忍者・諸泉尊奈門との決闘に向かった後、消息を絶ってしまった土井先生―
山田先生と六年生による土井先生の捜索が始まる中、担任不在の一年は組では、タソガレドキ忍軍の忍び組頭・雑渡昆奈門と、尊奈門が教壇に立つことに!
そんな中、きり丸は偶然、土井先生が置かれた状況を知ってしまうのだった。
一方、土井先生捜索中の六年生の前に突如現れたのは、ドクタケ忍者隊の冷徹な軍師・天鬼。その顔は、土井先生と瓜二つで―
忍たま達に立ちはだかる最強の敵を前に、今、強き「絆」が試される。果たして乱太郎、きり丸、しんべヱたちは、土井先生を取り戻すことができるのか―!?
好きだと思ったポイント
忍者の厳しさをちゃんと描写する-ちゃんと負傷して出血する
一番感動したのが、血の描写があったこと。TVの忍たまで血が描写されたシーンを見た記憶がなかった。映画の冒頭シーンで、赤い彼岸花を血に見立てた殺戮を暗喩した描写があった。これを見て、「残酷なシーンはこのように描写するのか、なるほどな」と思っていたので、その後に天鬼(土井)と6年生の戦闘シーンで6年生が負傷して出血するシーンがあり、隙を突かれた気持ちになった。基本的に忍たまは子供向けに制作されているため、忍者の厳しい一面をそのまま描写することは極力避けられている。しかし今回は今までと違い、大人の忍がちゃんと闘い、血を流す。
戦闘シーンではないが、私が特に「今までの忍たまと違う」と思ったシーンは、キャラクターの死を連想させるシーンがあったところ。行方不明になった土井を探すも難航していた6年生たち。その中で潮江が「土井先生を探す際、「けが人はいたか」と聞くのではなく…」と言い放ち、食満がその言葉に激昂するシーンがあった。子供向け、しかも毎回キャラキターたちの朗らかな話が多く描かれる忍たまに、人気かつ重要なキャラクターの土井の死を匂わせる描写があったのだ。
通常では1年生が主役で描かれることが多いため見えてこないが、6年生はもう学園という隔離された社会から巣立つ準備をしている立派な大人だ。当然、主人公らと見えているものが全然違う。学園の外には辛くて苦い現実があること、忍という存在のすべきこと、あるべき姿を、自覚している。彼らが見ている忍の世界を、今作ではしっかり描写されていた点に、私は好感を持った。
普遍的な苦しみの描写-貧困と家族
キャラクターの単位で見た時、メインに描かれているのは土井ときり丸だ。二人は学園の教師と生徒の関係にあるが、疑似親子という側面もある。この二人の親子のような関係性にフォーカスが当たっているのが今作だ。
疑似親子とは、血のつながりがない者同士が家族として機能し合う関係性のことを指す。土井ときり丸はどうしてこの関係になったのか。それは二人とも本物の家族を失っているからだ。二人はともに戦争孤児である。土井はそれまでどのように生きてきたかは定かではないが、青年ほど成長したころには忍者になっており、負傷したところを山田家族に救われている。そして土井は忍術学園の教師となる。きり丸は戦争孤児のまま入学するも、長期休暇の際に帰る場所がなく途方に暮れていたところを土井に「一緒に帰ろう」とともに暮らすように誘われる。そうして二人は以来疑似親子関係の仲になった。
そして今作の土井の失踪があり、みなが騒然とするが、きり丸の心情は皆のそれとはレベルが違うことは明白だろう。きり丸にとって土井はただの担任ではなく父親代わりになってくれた人物なのだ。きり丸は一度家族を失っているため、家族を失う辛さを味わっている。だからこそ土井の失踪はきり丸にとって並ならぬ不安を煽ることとなる。二人が家族を失った理由は戦争にあるため、この二人の関係性は当時の戦国時代特有のそれかと思われがちだが、決してそうではない。現代でも様々な理由で家族を失う者はいる。離婚であろうと死別であろうと…。ゆえにこの二人が抱える喪失の辛さ苦しさは現代を生きる我々にももちろん共感される感情であり、普遍的なテーマになりうる。時代性を超えて土井ときり丸の抱える苦しみと幸せは我々の心を打つのだ。
時代性を超えた苦しみは二人の関係の描写に留まらない。些細な描写ではあるが、町内にいる浮浪者の描写があった。これもまた今までの忍たまでは描写されていなかったものである。彼らも家族や家を失い路上でなんとか生き凌いでいる。これもまた現代に残る社会問題である。ホームレスはもちろん、最近だとパパ活(援助交際)をする貧困女子や生活保護受給者などが形を変えて貧困の問題として残っている。そのような苦しみを持った者は今も昔も近くにいるのだと描写されていたのが印象的だった。
ビターで大人向け、それでもちゃんと子供も楽しめる映画
この記事を書く際、大人のお姉さんとしての目線でしか感想が書けないものかと思っていたが、意外とそうではなく、萌えコンテンツとしてでなくしっかりと作品として評価している自分が現れて正直驚いている。萌え的目線はまあここに書くとなると説明が面倒なのでまた今度機会があれば。

