エロ漫画描きたくねえ〜〜〜〜〜
仕事の成人向け漫画を執筆している最中、考えるのはそのことだけだった。最近リリースした漫画がそれなりにコケてしまったことでかなりへそを曲げていた。もうコミフロはよほどのことがないと開かないぞ…と、かなりやさぐれて、曲がったへそが背中まで回ったときである。
「俺の描きたいエロ漫画ってのを描いてやろうじゃん!!!」
急に頭の血管が切れて、締め切りも近いのに原稿執筆を放棄して、私は紙の漫画原稿用紙とシャーペンを取り出し、一心不乱に漫画を描き始めた。
合計2ページ、断片的に描いてみる。そしてできあがったのが以下である。


意識したのは、一般青年漫画的な演出でエロ漫画的なストーリーを描いてみる、ということだった。トーンでの影表現は1影、性的描写をなるべく直接描写しない、など。あくまでキャラクターの心理描写を描くことを優先した演出にする、ということを念頭に置いた。
右ページはともかく、左ページの描写がひどく目も当てられない。(どっちもひどいよ)
というのも、この2ページを4時間かけてぶっ続けで描いたために疲弊していたためだ。本来の漫画の描き方とはまるで違う、いきなり原稿用紙にラフ画を描き始めるというライブ感で描かれた漫画である。
これは後程リベンジしたい…と思い、翌日同じ手法で描いたのが以下である。


拙作『私のためのひと』のキャラクターを久々に描いた。この二人は私のお気に入りのキャラクターだからだ。
けっこう…いや、私にしてはめっちゃ良い感じ。めっちゃチンピクする!自分のエロ漫画で初めて勃起したかも。
そう思える出来の漫画(らしきもの)が描けた。
このテイストで商業エロ漫画が描けたら最高なんやが…と思ったが、不安材料があった。このように大きく絵柄や作風を変える時は事前に担当編集に相談するようにしているが、概ね通らなかった。
(※もちろん編集者や出版社の意向によって判断は変わる)
理由は様々で、私の画力不足によるものもあったし、美少女イラスト界隈の美意識にそぐわない変更を要求していたから、というのもあった。
今回も断られたら本当にしょげちゃうかも…そう思った私は先回りして、SNSでフォロワー(読者)にアンケートを募った。
結果
7割がしこれるならまあええか。
(2割の人間はどうして私のことをフォローしているのか、そしてどうしてわざわざ票を入れたのか、その人間性にイライラしながらもまあ選択肢用意したの自分だしなと納得しつつ)私の漫画でチンピクしてくれる人が思っていたよりも多くて嬉しかった。あとの3割は快楽天でも読んでてくれ。
この結果が担当と交渉する際の武器になるかどうかはさておき、この結果は私にとって大きな自信へとつながった。私のフォロワーという、もともと私のことを好きでいてくれている方々のフィルターはあることは除いたとしても、需要がないわけではない、エロ漫画を描いていて初めて自分の描きたいものと読者が求めているものが大きく重なったという事実が嬉しかった。
(※のちに担当編集にも見せたところお褒めのお言葉をいただいたので嬉しかった。)
調子に乗った私はどんどん描いた。


手慣らしのキャライラスト。
ここ最近毎日ペン入れの練習をしている成果が絵に現れ始めていて嬉しいのもあり、更に調子づく。
「これ、まとめたら本になるじゃん。」
推しカプ漫画描き始めの腐女子よろしくの頭の悪い閃き。そしてあることと結びつく。
「これで夏コミ出られるのでは?」
もとより、C106への参加は諦めていた。実用性あるエロ同人誌を描く予定だったが、今それを描く気力もモチベもなく、また別軸で創作BLや趣味の漫画執筆も控えており、サークル参加する理由がなかったからだ。
でも、これにもし需要があれば、本作ってみたいかも。
個人的には本にならなくても別に良いけど、これを欲しがってくれる人がいるなら本作りたいかも、というなかなか他人任せな判断基準で夏コミ参加するか否かを迷った。
迷ったときはすぐアンケのおわにんである。そして結果は以下。
結果
この割合なら全然いいな!(判断するには母数が少ないけど仕方ない)
じゃ、夏コミ出よう。

行動力の化身、おわにん。
私の描きたいエロ漫画は明らかに実用性がないのと、今までに見ないエロ漫画を探求したいという気持ちもあり、実験的エロ漫画—オルタナティブエロ漫画と称して申し込んだ。我ながらワクワクするサークルカットだ。
ここで一度立ち返る。
私の描きたいエロ漫画とは、なんだ?
どうしてエロ漫画を描こうとしたか
私がそもそもエロ漫画家になろうとした理由は、エロスというテーマで作品を作りたかったからだ。
しかし、エロスをテーマに作品を創作するのに、漫画で表現する必要はない。なぜ漫画という表現を選んだのか。
漫画では、人格をもつ人物を己の意志で作り出せるからである。
これはいわゆるキャラクター造形のことを指している。キャラクター造形ができる表現は他にも小説や演劇、アニメーション、映画、様々ある。その中で漫画を選んだのは、その作品内に登場するキャラクターが非実在であるからである。「三次元」と言われる、実際の人物を使って表現しようとすると、演者に対して「演じる」という強制がどうしてもはたいてしまう。私はこの現象に他者に対して暴力をふるっているかのような罪悪感を感じ、いたたまれなくなり、実在する人物の絡む表現は避けるようになった。
残るは漫画か小説で(アニメは声優という演者が絡むのでナシ)、私は文才もないし、今までの絵を描いてきた実績が多少生かせるからという理由で漫画という表現を選んだ。
長くなったが、以上を以って私はエロ漫画家になることを目指した。
そして、ご縁があり目指し始めてから1年と少しでエロ漫画家デビューを果たした。
商業の上に成り立つ文化、漫画
しかし、すっかり見落としていた事実があった。
漫画は国や行政に担保された文化ではなく、企業—商業により担保されている文化であることを。
つまりどういうことかというと、企業のためになる漫画を、売れるための漫画を描かなくてはいけないということ。
それがいかに芸術的価値があろうとも、売れなければゴミ扱いされる環境である。
さて、エロスをテーマに漫画を描かせてくれる環境はどのようなものか。
―ポルノ生産場である。
私が現在抱える葛藤はここにすべて収斂している。
私はエロスをテーマに漫画を描きたいのに、それはポルノとして描かれないことには創作を許されないのである。
ポルノとは性的消費物である。いわゆるエロスの『ガワ』と言っても良い。
私がターゲットにしているのは異性愛者の男性だから、女性を性的消費する漫画を描くことになる。大した魅力もない男性キャラクターに心酔して身も心も委ねる、男性にとってこの上なく都合の良い存在を。
私はこれが耐えられなかった。性的消費される対象の性別は関係なく、誰かにとって都合の良いようにキャラクターを生成することに耐えられなかった。非存在とはいえ、私はキャラクターのことはリスペクトして創作したい。しかしそれが叶わない。これは性産業特有のそれではなく、どの漫画業界にも起きている悲劇だ。
商業性から切り離された「同人」という環境
いったん、オマンマ食ってくこととか、商業と同人の境目が薄れているとか、そういうのは置いて話を進める。
ここで語るは、あくまで同人という環境が本来もつ機能性についてだ。
私は、漫画という表現の可能性に期待して漫画家を目指した。しかし、漫画家として漫画を描くには商業的価値のある漫画しか描けない。
では、そういうものを取っ払って、純粋に漫画を創作できる環境はないのか。答えは否、存在する。同人だ。
同人とは、ここではあくまで個人の趣味として創作されるもの全般のことを指す。私が描きたい純粋なエロ漫画は商業という環境下でなく、同人という環境でなら、描けるのだ。(※いったん需要は考えないものとする)
そこで私は先に掲載したサークルカットを制作したのだ。私が求め続けたエロ漫画制作が叶う日を夢見て…。
エロティシズム「描」考
エロスとは何かについて漫画で表現したいだけ
で、結局おわにんはどういうエロ漫画が描きたいのさ?—上記見出しの通り。私はただエロスとは何かを自分なりに考えて、そのアンサーを漫画という言語で語る、ただそれだけだ。
じゃあ、エロスってなんだと思ってるのさ?—「他者を受け入れ、自分も受け入れられることに期待すること」。
他者を肯定し、それとの同一化を望むこと。つまり、一つの人間賛歌の形。人間らしさのひとつ。「身も心もひとつになってしまいたい」を少し堅苦しく言うと、こうなるのかなと思う。
ちなみにこれは私の持論ではなくジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』論を参考にしている。バタイユはエロスや神秘主義などの言語化しにくいテーマについて哲学した人物で、今後も度々彼の論を引用または参考にしながら漫画制作をしていくことになると思われる。
「論」じるのではなく「描」く。—エロスを描考する
これはあくまで考えであって、もちろん表現ではない。上記の定義はあくまで作品の骨組みであり、血肉は漫画で表す。どんなテーマだってそうだが、それが漫画家だから。
よって今回の夏コミの新刊のタイトルは「エロティシズム論考」ではなく、「エロティシズム描考」とした。
エロスを漫画で表現するということ
しかし、これをまるまる漫画で描くのはさすがに難儀なので、もう少し人間のリアルな状況を想定したうえでストーリーを考えるようにする。逆の見方をすると、ある出来事からエロスというテーマについて考えさせられるようなストーリーを描く。…つまり、ある種の寓話性を持つ形で描かれることになる。これが私の漫画の特徴になってくるだろう。なお、エロスというテーマでない漫画でもこのスタンスは変わらないと思われる。
私の作品は抒情的と言われることももしかしたらあるかもしれないが、表現したいのはあくまで感情でなく思想だ。
描かないことには始まらぬ
…と、ごにょごにょ述べてきたが、結局はブツで証明しないと話にならないのが芸術家だ。今後は上記の論を前提に様々な実験的なエロ漫画を展開していくこととする。

