2/26に担当さんとの定期雑談会があるのでそれに向けてまとめていく。
自分の好きなものを見直す時間
前回の座談会から今日にかけて、インプットやアウトプットの回数を意識的に増やすよう過ごした。
これまで時間を一言で表すなら、見出しの通りになる。私は今まで創作物を鑑賞する回数が圧倒的に少ないため、まずはインプットを試みるのが先決かもしれないが、最近の私は自身のアイデンティティ(的なもの)を見失っている気がしたし、好きだと思うことがほぼできていない状態が続いていたため、フラストレーションが溜まり、アウトプットするものも基本的に自分の好きなものになっていた。
そのような時間を過ごして、己(の創作)について気づいたこと(見直したこと)を以下にまとめてゆく。
人間賛歌-人間を肯定したい
これは私の創作におけるステートメントだ。何のために作品を作るのか、どのような作品を作るのか、に対する答えだ。
私は人間としてこの世に命を授かったので、どうせ生きていくなら人間であることを大いに愉しんで生きたいと思っている。人間であることを肯定的に捉えて生きていたいのだ。
そのために考える必要があるのは、「人間らしさとはいったい何なのか」、ということ。
これについては簡単に答えが出せないし、その時々で「これって人間らしいな」と思うものをテーマに創作していけたら、と思う。それらを肯定する作品を作っていけたら、とも思う。
醜いとされているもの 禁忌とされているもの―性的なものについて
先程、人間らしさについて答えが出せないと言ったが、私が特に人間らしいと思うものはある。それが見出しに書いた「醜いとされているもの」「禁忌とされているもの」だ。
様々な例が挙げられるが、その中でも私に深くかかわってくるのは「性」についてだろう。
性的なものは普段隠されている。私はそれをコンテンツとして生み出し生活している。ゆえにどうしても性的なものについては避けて通れない。そのため、この10日間で一番考えたことも性的なことについてだった。
特に今回、私が本当にやりたかった「エロスについて表現する漫画」を描くことにかなり前向きになったというか、吹っ切れたのが個人的に大きな出来事だった(上記に詳細あり)。
ここまで尖った実験的なエロ漫画でなくても、自分の性癖をどんどん押し出していくことにも肯定的になれた。頭を使ってエロ漫画を描くのには変わりはないが、もう少し私的な要素も加えて制作しても良いかもしれないと思えた。
まあ、一般青年誌では多分エロという題材は扱わないだろうが、なんだかんだエロは好きだと思えたのが良かった。
思想を表現する 象徴性 寓話性
作品を描くうえで、何を描きたいのかを考えてみると、思想を描きたいと思う。私の作品はよく抒情的とかエモいと評されることはあるが、別に感情を描きたいわけではない。描くとしても、その感情がどういうものか、何をもたらすのか、といったところまで踏み込んで作りたい。以前、雰囲気漫画制作で少し挫けたのも、主人公がチーだったからの他に、そもそも感情や人間関係が主な題材になっている点が自分の描きたいそれと合っていなかったのかもしれない。
思想を描くとは具体的にどういうことか。あるいはどういう作品になるのかを考えてみたところ、「寓話」になるのではないかと考えた。
実は、美大生時代に神話や民話にかなりハマっており、自分でオリジナルの神話を考えたりしていた。

2016年 紙に木炭
「人は死んだらどこへ行くと思う?」と周りの人間に死生観を問い、その答えをドローイングに落とし込んだもの。
2016年
対象者と交換日記をし、そこから人物像を理解し、昔話風物語を創作をすることで「個人を普遍化する」ことを試みた
この頃から人間の持つ(人間にとっての)普遍性に興味があった。それは今でも変わっていなかったことを再確認できた。
次回までにしたいこと
正直、原稿や他業務に追われていたのもあり、あまりインプットができていなかったので、インプットする時間を増やしたい。(次にお話する頃には脱稿していると思うので…)
以下の作品を鑑賞する予定だ。
- つげ義春
- 上村一夫(しなの川、同棲時代)
- 団鬼六(死んでたまるか、花と蛇)
- 谷崎潤一郎(陰翳礼讃)
- 梶井基次郎(桜の樹の下には)
- 坂口安吾(桜の森の満開の下)
- 芥川龍之介(杜子春)
つげは『ねじ式』は読んだがそれ以外は読んでいなかったため。彼の象徴性ある物語は参考になりそう。
上村一夫は情愛をテーマに描く抒情派の代表格の作家で、じっくり読んだことがなかったため。
その他の文豪たちは知人らの話に上がっており興味がわいたため(この年になって名作をあまり読んでいなかった負い目もある)。
その他の出来事
期間中に投稿した各記事のリンクを張っておきます。




